中央大学法学部通信教育課程体験記①ー私の入学決意から初めての単位取得まで

早いもので今年も3月なりましたが、毎年思い出すのは今から29年前の同じく3月に中大通教を知り、
翌月の4月に中央大学法学部通信教育課程の1年次に入学しまして(平成9年・1997年)
5年間掛かりましたが、無事に卒業(平成14年・2002年)することが出来ました。
今振り返ると、「とてもハードだったが、入学して本当に良かった」と心から思っています。
今回は、私が入学を決意した理由と、最初の単位を取得するまでの話を書いてみたいと思います。
もし今、中央大学法学部通信教育課程への入学を迷っている方がいれば、
私はこうお伝えしたいと思います。「卒業する!」という意思さえあれば大丈夫です。
私も気合と根性で卒業出来ました(笑)
当時の私は「普通の会社員」
入学当時、私は高卒の会社員でした。
勤務先では営業職として働き、業績はとても良く(自称)、仕事へのやる気も愛社精神も抜群でした(自称)。
そして、仕事が終わるとほぼ毎日のように同僚と2軒3軒とハシゴ酒に行く生活で、
勉強とは完全に無縁の生活でした。
そんな生活が変わったのは、30歳の時の出来事でした。
30歳の失恋が人生の転機に
想定外の婚約破棄という出来事をきっかけに、自分の人生を見つめ直すことになりました。
「このままの人生でいいのだろうか」
数カ月が経過し、思ったのが「勉強していない人生を変えたい」ということでした。
ちょうどその頃、勤務先でも営業から総務部門へ異動したいという気持ちが芽生えていました。
総務の仕事を考えると、法律の知識は必ず役に立つのではないかと。
そして社会保険労務士という資格の存在も知りましたので、
資格の取得もしたいと思い始めました。
中央大学通信教育課程との出会い
中央大学法学部に通信教育課程があるのを知ったのは、
ダイヤモンド社の雑誌だったのか、電車内の広告だったのか、正確には覚えていませんが、
「法律を学ぶ」そのためには法科で有名な、
中央大学法学部の通信教育課程に入学しようと思いました。
ただ、当時の私は入学をなかなか決めきれずにいました。
そんな時、仲が良かったSちゃん
(昼間は看護師、夜はキャバクラで働いていました)が、
ある国立大学の医学部看護学科を受験し合格されたのです。
私は驚きと尊敬の念が湧いてきました。
そして勢いで言いました。
「俺も中央大学の通信に入学して卒業する」
するとSちゃんは大笑いしながら言いました。
「やっちゃん、あなたには絶対に無理よ!無理!無理!!」
この一言で、失恋からこの間までくすぶっていましたが、ついに火が付きました(笑)
「よし、決めた入学する!」「俺は中大通教を卒業する!」
そして入学の申し込みと履修科目を選び、申込書を発送(順序等は忘れました)した頃、
Sちゃんは大学へ入学するため関西方面へ旅立ちました。
今振り返ると、結果的ですが入学の後押しをしてくれたことに感謝しています。(元気かな?)
届いた段ボール箱を開けて絶句
しばらくして、自宅に段ボール箱が届きました。
開けてみると、そこには大量の教科書。
しかも――
イラストがない。文字ばかり。しかも分厚い。
ページ数を見て、正直絶句しました。
「これは大変なことを始めてしまったかもしれない」
「卒業できるのか」
そう思いました。
これは私も含めて多くの方が困惑したようです(笑)
そして数ある科目の中から、私が最初に取り組んだ科目は「法学」。
著者は真田芳憲教授でした。
なぜ法学を選んだのかは、他の全ての法律科目の基本なのではと思ったからでした。
そして通信教育の単位取得方法(4単位科目)は次のどちらかです。(当時)
① レポート4通合格+科目試験合格
② レポート2通合格+スクーリング受講+科目試験合格
私は②を選び、8月に多摩校舎で行われるスクーリングを申し込みました。
つまり、それまでにレポート2通合格が必須です。
とくにかくテキストをわからなくても読み続けました(2回転ぐらい)
その後は、レポート課題を意識しながら読みました。
そして参考文献も必要です。当時はインターネットはまだ普及し始めた頃でしたので、
自宅より集中できる図書館へ良く通いました。
広尾図書館と日比谷図書館が好きで、土日は朝から夕方までいました。
とても孤独でした(笑)
かんたんに生活は変わらない
中央大学法学部通信教育課程に入学したことを同僚に伝えました。
みんなが驚いて
「どうしたちゃったの?」
「酒の飲み過ぎで酔っぱらっているの」と笑われました(笑)
「もう飲みに行かないからね」と私はそう宣言しました。
しかし土日は机に向かえるようになっていましたが、
平日は会社のため実際には生活があまり変わりませんでした。
「待ってくれ~ 俺も飲みに行くよ!」
「変わらないじゃん!」と笑われていました。
ただ、酔って帰宅した後の高揚感のある時間に、
レポートの内容を考えるようになりました。
理由は、レポートは感想文ではなく、そして
「です・ます調」ではなく**「である調」**。
知識の薄い私がそんな風に偉そうに書いてよいのかと(笑)
これに慣れるため、酒の力を借りました🍶
初めてのレポート提出
苦戦すること約1か月。
ついにレポートを清書して郵送しました。
人生初の大学レポートです。
レポートの評価(当時)は
A・B・C → 合格
D → 不合格(再提出)
数週間後、添削されたレポートが郵送されてきました。
ドキドキしながら開封すると…
評価は「C」
辛うじて合格でした!!
レポートは添削して頂いた赤字だらけでした。
とても細かいところまで丁寧に添削指導していただき、とても感動しました。
しかし同時に恐怖も抱きました。
「よくこれでCが取れたな・・・」
正直そう思いましたが、結果オーライですので、一人で乾杯しました!
初めてのスクーリング
勢いそのままに2通目のレポートも提出し、7月中旬には合格。
安心して8月のスクーリングに参加しました。
初めて訪れた多摩キャンパス。(今は茗荷谷?)
敷地も広く、教室も大きい。
ただ、自宅からは遠い場所でした。
勤務先には事情を説明して理解を得られたので、
月曜から金曜までは午前半休を認めてもらいました。
講義が終わると会社や得意先へ行く必要がありましたが、とても充実した日々でした。
広い大学の教室で講義を受けるのは、とても新鮮であり、
しかも講師は、教科書の著者である真田教授(だったはず・・)
「大学に来たんだな」と実感した瞬間でした。
6日間のスクーリングを無事に受講し、日曜日には初めての科目試験。
なんとか答案を書き上げ、後日、合格と単位取得の通知が届きました。
4か月で4単位取得のまま、1年目が終了・・・
入学から4か月。4単位(1科目)取得。
卒業までたどり着けるのではと、
ほんの少しだけの手応えを得られた感じがして
とても嬉しかったのを覚えています。
しかし・・・その後、仕事も忙しくなり、
反動なのか勉強が続かなくなりました。
結局、1年目の成果はこの1科目のみ。
そこで2年目は巻き返しを図るため、
人見知りでシャイな私でしたが、
学生会活動に参加することを決めました。
この学生会との出会いが、
私の大学生活を大きく変えることになります。
次回は学生会について記載します
(次回へ続く)
コメント
コメント一覧 (2件)
素晴らしい!
良く頑張りましたね!
読んで頂きましてありがとうございます!