弱小の社労士FPが綴る「私の退職顛末記:第5回」40代でのキャリアップと「資格は足の裏に付いた米粒の教訓」

2社目の転職先でも芽生えた辞め癖は、同僚社員の何気ない🍺のお誘いをいただいた夜で吹き飛びました。

その後は順調に、そして愛社精神に満ち溢れて業務に邁進しましたが、挫折や辛い思いをすることも、しばしばありました。
(失恋、🐶・祖母・父・後輩・上司の他界など)

今回は、今でも私の心に深く刺さっている当時の総務部長の言葉と、その後の大きな転機について振り返ります。

弱小の社労士FPが綴る「私の退職顛末記:第1回」   | さくらい社労士FP事務所
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弱小の社労士FPが綴る「私の退職顛末記:第4回」2回目の転職 呆れる総務部長、辞め癖が芽生えそうな日々、そこに現れた救世主! | さくらい社労士FP事務所

目次

忘れられない総務部長の格言「資格は足の裏の米粒」

入社時に面談をしていただいた総務部長とは、なぜか飲み会の席で偶然近くに座ることが多く、宴もたけなわになると、「お前さんほど俺をなめていた小僧はいねぇよ」とよく言われていました。

※なぜなめていたと思われていたのかは、第4回のエピソードをご覧ください。

弱小の社労士FPが綴る「私の退職顛末記:第4回」2回目の転職 呆れる総務部長、辞め癖が芽生えそうな日々、そこに現れた救世主! | さくらい社労士FP事務所

私としては「ご勘弁を!」と謝ってばかりでしたが、怒られるばかりではなく、業績が良い時は褒めていただいたり、人生の格言を教えていただいたりすることもありました。

あれは1992年か1993年?靖国神社での花見の席でのことです。 設計部の方が一級建築士に合格したので、みんなでお祝いの言葉を掛け合っていました。

めでたい雰囲気が飛び交う中、いつの間にか私の隣の席に現れた総務部長が、私を小突いて言ったのです。

総務部長:「おい、よく聞け」
私:「どうしました?」
総務部長:「いいか資格っていうのはな、足の裏に付いた米粒なんだよ」
私:「どういう意味ですか?」
総務部長:「とっても食えないの!わはは!」
私:「なるほどです…(なぜこのタイミングで‥)」

しかし、あれから約30年が経ち、実際に独立を決意した今の私には、深く刺さり、身に染みる言葉となっています。

1992年~1993年頃
靖国神社での花見風景
(上司からの格言を授かった)
お花見時の写真  一番左が私😎で、左から4人目が総務部長 1992年か93年頃?

総務部への憧れから中大通教に入学~卒業、そして社会保険労務士への決意

入社前からご迷惑をかけ、そして花見の席では格言を教えてくれた総務部長に対して、こういう大人になりたい?そして総務部の仕事に興味を持つようになりました。

営業とは異なり、成績が良くても表彰されるわけでもなく、黙々と仕事を行うイメージを私は持っていました。

しかし会社のあらゆる部門に対して接点があり、採用や人事など会社の中枢を補うポジションである事を知りましたので、今は営業員だけと将来は総務部で働きたいと思い、法律の勉強(中大通教)をして、そして社会保険労務士になれば、総務部へ配属のキャリアパスが可能になると思いました。(失恋の反動もありましたが・・・)

当時は実感していませんでしたが、総務部長の影響が大きかったのだと思います。

流れる時間と、40代は社労士とFP2級の資格取得と社内でのキャリアアップ

入社してから数年は、総務部長が笑いながら
「俺の目が黒いうちはお前さんを偉くしないぞ」と言われていました。
(当時はまだ総務部へ行きたいと思っていない頃)

宣言通り、係長になれたのは、入社から11年半が経過した35歳の4月でした。

この年は、仕事と両立しながら続けていた中央大学法学部通信教育課程を3月に卒業が出来た思い出深い1年でした。(年男の午年)

中央大学法学部通信教育課程体験記①ー私の入学決意から初めての単位取得まで | さくらい社労士FP事務所

そしてその4年後に課長、さらに4年後には部長へと昇進することができました。

さらに2012年には、不合格続きだった社会保険労務士試験にもついに合格!!!

一歩ずつ、憧れの総務部への道に近づいていると信じていました。

「希望の総務部ではない異動・・・」と25年ぶりの葛藤

しかし、現実の人事は思い通りにはいきません。

毎年1回行われる個人面談では、
一貫して総務部への異動を希望し続けましたが
(当時の総務部長はすでに定年退職)、
「お前は営業だ」と、常に断られ続けました。

そして希望が叶わぬまま迎えた2016年、私に発令されたのは、なぜか「工務部」への異動でした。
(「ソウムブ」と「コウムブ」、響きは似ていますが中身はまったく違う!)

この時は、入社早々に芽生えた「会社を辞めたい」という気持ちが、25年ぶりに激しく湧き上がってきました。

「このまま総務部の実務を経験できないなら、別の会社の総務部や社労士事務所へ転職するか、いっそ個人で開業するか……」と、真剣に悩みました。

環境が変わっても「今できること」に全力を尽くす

しかし、この時はまだ愛社精神が勝ちました。

数日間は不貞腐れていたものの、「よし、異動するならば前から実行したいことがあるので、それを成し遂げる!」と気持ちを切り替えました。

異動した工務部での在籍は約3年間という短い期間でしたが、心強い協力者に恵まれましたので、成し遂げたい事が無事に出来ました。

おそらく私一人ではできなかったのは間違いないので、今でも協力してくれた方に心から感謝しています。

他にも詳細は明かせませんが、長年の懸念事項となっていた事柄を良い方向へ変えることができたと、個人的には手応えがあり充実していました。

しかし決めたことをやり抜けたので、少しづつですが、この会社で行いたい事はもうないかなと?淋しさと脱力感も感じてました。

そして次の異動が発令されて、今度は調達部門との事でしたので、再び悩みましたが従いました。
(また総務部ではない・・・)

当時52歳という事も含めて、私の会社員時代は、確実に最終局面へと向かっていました。

2社目の転職先では32年半在籍したので、多くのエピソードがありますが、ここでは書ききれません

次回予告:第6回(最終回)
「55歳でついに退職を決断! さくらい(私)、さまよい(悩みと葛藤)、さすらい(退職~失業)、さむらい(一か八かの弱小社労士)へ」

7月17日(金)夜に投稿予定です。最後の決断をぜひ見届けていただければ幸いです。

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